大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和58年(あ)1537号 決定 1984年7月06日

主文

本件上告を棄却する。

当審における未決勾留日数中一三〇日を本刑に算入する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

弁護人八木新治の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の各判例は事案を異にして本件に適切でなく、その余は、事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない(本件被害者の死因となつたくも膜下出血の原因である頭部擦過打撲症が、たとえ、被告人及び共犯者二名による足蹴り等の暴行に耐えかねた被害者が逃走しようとして池に落ち込み、露出した岩石に頭部を打ちつけたため生じたものであるとしても、被告人ら三名の右暴行と被害者の右受傷に基づく死亡との間に因果関係を認めるのを相当とした原判決の判断は、正当である。)。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号、一八一条一項本文、刑法二一条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(安岡滿彦 伊藤正己 木戸口久治 長島敦)

弁護人八木新治の上告趣意

原判決は、大審院の判例、および最高裁判所の判例と相反する判断をなした違法があり判決に影響を及ぼすこと明らかである。

原判決は、被害者の死因となつた四、三センチメートル×四、五センチメートルの後頭上部正中の擦過打撲症(以下本件傷害という)の成因は被告人らの暴行に因るものとし、午前三時過ぎの薄明かりの丸山墓苑内において左右に転げまわる被害者を被告人、藤原一郎、田原稔穂の三名が腰部等を足蹴りしたのであるから被害者の頭部正中を足蹴りした蓋然性は否定できないとし、被告人と田原は頭部を足蹴りしたことはないと弁解しているが、藤原は必ずしもこれを否定している訳ではないから被告人らが右墓苑内で被害者の胸部、腹部、腰部および頭部に対し暴行を加えたと認定することが相当であると判示している。然しながら、右判示の証拠として採用せられる藤原の捜査官に対する供述、および一審法廷の証言は極めて曖昧であつて全幅的に信頼し得るものではない。すなわち藤原の検面調書における供述は「私は腰や腹を蹴つたつもりですが、田中はじつとしておらず、右に左に転がるので胸や頭を蹴つているかも分りません」というのであり、法廷の証言は「夢中だつたからどこを蹴つたか分らない」というのであつて、頭部を蹴つたとする明確な証言はないのである。のみならず検面調書では「私はセドリック内にあつた三〇センチメートルの長さの鉄棒で最後に田中の頭を一回殴つた」などと事実無根の供述を故意にしており、その供述、証言は輙く措信し得ないものである。このような信用性のない藤原の供述を重要視している原判決の認定は重大な事実誤認があると云わなければならない。

更に、原判決は、一審の証人岡田吉郎が「サンダル履きの足で蹴つても本件傷害の成因となる」旨供述していることをもつて被告人が履いていたスニーカー、藤原、田原が履いていたゴム長靴でも全様本件傷害の成因となると考えられるとしているが、サンダルにも木製のものからゴム製その他のもの迄硬軟種々雑多のものがあるから、材質の特定されない限り、このような証言をもつて直ちにスニーカー或いはゴム長靴履きで蹴つても本件傷害の成因となり得ると判定することは理由不備、審理不尽の非難を犯していると云わなければならない。しかも犯行当時現在は二〇セソチメートルないし三〇センチメートルの積雪の状況であり、地面に直接後頭部をあてることは不可能であり、擦過傷は生じ得ないのであるから被告人らの暴行が本件傷害の成因となつたとは到底考えられず、被告人らのうちの誰のどの行為が本件傷害の原因となつたか特定できないとしても被告人らの暴行が本件傷害の成因となつた蓋然性を否定できないとする原判決はこの点においても重大な事実誤認があると云わなければならない。

そうだとすると本件成傷の原因は被害者が被告人らの暴行を免れるため逃げ出し斜面に岩石の露出している池に落ち込んだ際、後頭上部を打撲したと認めるのが相当である。原判決は仮にそうだとしても被告人らが加えた暴行と右打撲症に基づく死亡との間に刑法上の因果関係ありとして傷害致死の罪責を肯定していることは左記大審院判例および最高裁判例と相反する判断をなしたものであり、その結果、重大な事実誤認と法令適用の誤りを犯しているものと云わなければならない。すなわち、

(一) 大正二年九月二二日言渡大審院判決は、七九年の老衰せる祖母を殴打し、その右肩骨の脱臼を引き起したため病臥一ケ月余にして死亡するに至つたとの傷害致死事件につき、その既遂を認めたものではあるが、「他の原因と相合して結果を発生したる場合においても特定の行為が原因となり特定の結果を発生し、又発生することあるべきことが吾人の経験、知識において認識し得べき場合は其の行為はその結果に付原因を與えたるものとす」と判示し、

(二) 昭和二三年三月三〇日最高裁判所第三小法廷判決は、人体に生理上の障害を與えるおそれのあることを認識しながら酒の代用として燃料用アルコールを販売したところ、その買受人からさらに譲りうけた者がそれを飲用して死亡した事件につき因果関係を認めたものであるが「特定の行為に起因して特定の結果を発生した場合、これを一般的に観察して、その行為によつてその結果が発生する虞れのあることが実験法上当然予想されるにおいては、たとえ、その間に他人の行為が介入してその結果の発生を助長しても、これによつて因果関係は中断せられず先の行為を為した者は、その結果につき責任を負うべきものと解するのが相当である」と判示し、

(三) 昭和四二年一〇月二四日最高裁判所第三小法廷決定は、業務上過失致死事件につき「右のように同乗者が進行中の自動車の屋根の上から被害者をさかさに引きずり降ろし、アスファルト舗装道路上に転落させるというがごときは、経験上、普通予想し得られるところではなく、ことに本件においては、被害者の死因となつた頭部の傷害が最初の被告人の自動車との衝突の際生じたものか、同乗者が被害者を自動車の屋根から引きずり降ろし、路上に転落させた際に生じたものか確定し得ないというのであつて、このような場合に被告人の前記過失行為から被害者の前記死の結果の発生することが、われわれの経験則上当然予想し得られるところであるとは到底いえない」と判示し業務上過失致死の罪責につき因果関係の成立を否定しているのである。

右何れの判例の判旨も一定の行為により一定の結果が吾人の知識経験上一般的な経過において発生したときにその結果に対しその行為を原因なりとなすものである。これを本件について考えるに、被害者が被告人らの暴行を免れるために逃亡し池に落ち込んだ際の成傷が致命傷と認められるから、それが吾人の知識経験上当然予想し得られるところであるかどうかは、犯行当時の場所の地形、時刻、気象、気温の状況など具体的客観的状況によつて判断しなければならない。時期は二月八日という山陰地方独得の積雪厳寒の候であり、時刻は午前三時過ぎという最も気温の低下している時間帯において、落ち込めば凍死するかも知れない危険な池があり、その池と現場の土手との間は約三五度の傾斜面となりその間に針葉樹、広葉樹などの林立する場所において、池の方向に逃げるということは、又は逃げるかも知れないということは吾人の常識の域を脱する想像の及ばない行為であり、到底経験則上認識し得べきところではない。そうだとすれば被告人らが被害者に加えた暴行と被害者が自棄的に逃げて右池に落ち込んだ際の後頭上部正中の擦過傷との間に到底因果関係は認められないのに拘らず刑法上の因果関係ありとして右擦過傷に基づく傷害致死の罪責を認めた原判決は前掲各判例と相反する判断をし、重大な事実誤認および法令違反があるものにして判決に影響を及ぼすことが明らかであるから到底破棄を免れないと思料する。

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